知的能力が問われる社会になってしまった!?

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みなさんは、自分の知能が著しく低下したような気持ちになって焦ったことはがありますか?私は人生で2度あります。1度目は、教育研究所の課題研究委員に選ばれた時です。メンバーは小・中・高校の教員5名で構成されたグループだったのですが、たまたま私以外のメンバーがコンピュータのかなりの使い手だったのです。当時windows95が出る前だったので、まだほどんどの教員はやっとワードプロセッサーを使い始めた時代です。私の周りにはコンピュータに詳しい先生方はあまりいなかったので、コンピュータ用語は全く知りませんでした。ですから、私は、彼らが話している内容が横文字だらけでほとんど理解することができなったのです。2度目は大学院に入った時です。社会人枠だったため、若い院生と一緒に学んでいったのですが、所属したのが「統計は出来て当たり前」というゼミだったのです。統計を学んだことがなかった私は、ゼミの内容にまったくついていけませんでした。またその研究室では「統計処理ソフトを使う奴は無能。統計ソフトは自分で作るもの」といった風潮があったため、ようやく議論の内容が理解できたのは半年も後のことでした。しかし、この2度の悲惨な経験は、教師である私には貴重なものとなりました。クラスの中には、一斉授業では、理解が難しい児童が少なからずいます。そして学年が進み、学習内容が難しくなっていくほどに、ついていけない子も徐々に増えていきます。その子たちが自分の能力や理解度を超えた授業を受けた時、どんな戸惑いや不安が心の中に渦巻くのかを、教師が経験することはとても大切なことだと気付いたからです。近年、社会が複雑化し、変化のスピードがかなり上がり、50年前であれば普通に仕事をこなせていた人たちが、そのスピードと複雑さについていけなくなっているのではないでしょうか?社会に出たとたん、複雑な業務内容が理解できず、共同作業のスピードにもついていけず心を病み、メンタルクリニックで発達障がいや境界知能と診断される人が急増しているのは、こういった社会的背景があるのかもしれません。